朝鮮が南北に分断されたのは何故?休戦中の朝鮮戦争

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7月27日は朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた日です。北朝鮮では「戦争に勝利した日」とされているようですが、そもそも朝鮮戦争とはどのような戦争だったのでしょう?そして、どうして朝鮮は南北に分断されてしまったのでしょう?

センシティブな問題であり、日本も大きくかかわる問題なので、解釈や異論も多くあると思いますが、筆者は無知で何も知らない状態なので、筆者なりに調べた情報でご紹介します。

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朝鮮が南北に分断された理由

筆者も含めて、今の日本人から見ると、朝鮮が南北に分かれているのはごく当たり前のことですが、朝鮮半島が南北に分断されたのは、第二次世界大戦の終わりのこと。72年前のことなのです。そして、朝鮮半島が分断されたのは、実は日本が第二次世界大戦で敗戦したことが影響しています。

日本の統治下にあった朝鮮半島

現在の朝鮮半島は、1910年(明治43年)に当時の大日本帝国に併合されました。朝鮮半島の併合や統治については、人によりあまりにも解釈が異なるので詳細は割愛します。

第二次世界大戦で南北に分断

朝鮮半島は、日本の統治下にありましたが、第二次世界大戦で日本は戦争に負けます。1945年、8月13日に、当時のソ連が朝鮮半島に上陸アメリカは朝鮮半島全域がソ連に占領されることを恐れ、両国の協議の結果、北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領することにきめました。そして8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し、敗戦し終戦を迎えます。

細かいことを無視すると、日本が第二次世界大戦で連合軍に負けなければ、朝鮮半島は統一された状態であった。と、言うことになります。

東西冷戦時代と朝鮮戦争

私たちの記憶にある「東西冷戦」とは、アメリカ合衆国とソビエト連邦を主体とした西側と東側の国の対立を意味しますが、このきっかけになったのは、第二次世界大戦の「ヤルタ会談です。

1945年2月、ソ連のヤルタにアメリカのルーズベルト大統領イギリスのチャーチル首相ソ連のスターリンが集まり、第二次世界大戦が終結したあとのことについて話し合いがありました。それをヤルタ会談と言い、東西冷戦の始まりです。

ヤルタ会談では、ドイツを東西に分けること、日本の北方領土はソ連が支配することなどが決められたこと等が日本史では取り上げられますが、朝鮮半島におけるアメリカとソ連の支配権の取り決めも行われているのです。

朝鮮戦争の始まり

東西冷戦による米ソの対立を背景に1948年8月15日に南部には大韓民国が建国され9月9日に北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国されました。南北の軍事バランスは、ソ連と1949年に建国されたばかりの隣国中華人民共和国の支援を受けた北側が優勢で、武力による朝鮮半島の統一支配を目指す北朝鮮は1950年6月、国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切ったのです。

圧勝と思われた北朝鮮を押し戻した国連軍

開戦当初、圧倒的に北朝鮮が軍事的に優勢でした。北朝鮮は、ソ連から軍事物資の提供を受け、新しく立国した中国からの支援を受け、軍隊はとても訓練された部隊。それに対して、大韓民国は米韓軍事協定によって重装備が全く施されておらず、戦車が無かったのです。

軍事素人の筆者でも、38度線を境に戦争をする時に、戦車の無い韓国と、ソ連製の最新鋭戦車を240輌保有する北朝鮮の軍隊の軍事力の差は歴然としている・・と感じます。

朝鮮半島が北朝鮮に全面的に支配されそうになったとき、国連決議が下され(ソ連不在の決議)朝鮮戦争に国連軍が参戦します。

膠着状態になり休戦

一時は北朝鮮側の手に落ちていたソウル国連軍は取り返します。そして北緯38度線で膠着状態が続きます。

1950年の開戦時には、北朝鮮側が13万人強、韓国側が10万人強の軍隊でしたが、1953年の膠着状態の時には、北朝鮮側は86万人(60万人が中国軍)、韓国側は国連軍の60万人まで増えています。

開戦直後の1951年から休戦調停は始まっていました。しかし、調停は難航していました。

1953年7月27日に、38度線近辺の板門店北朝鮮中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、3年間続いた戦争は一時の終結をし、現在も停戦中です。北朝鮮からは金日成(きむいるそん)朝鮮人民軍最高司令官、中国軍からは彭徳懐(ほくとくかい)中国人民志願軍司令官、国連軍からはM.W.クラーク国際連合軍司令部総司令官が署名しました。しかし「北進統一」に固執していた韓国の李承晩(り・しょうばん)大統領はこの停戦協定を不服として調印式に参加しませんでした。

太陽政策

南北統一を目指し、韓国側が打ち出した政策が「太陽政策」です。大韓民国の経済成長を基盤に、経済を中心にして南北の統一を図ろうとする政策です。

太陽政策はイソップ童話の「北風と太陽」から名前を取っています。軍事力で統一を目指すのではなく、経済で協力して統一を目指すもの、と、いう意味です。

太陽政策をめぐる大韓民国の政策の在り方もセンシティブなので、詳細は割愛します。

太陽政策の推進により、両国間では金剛山観光事業開城工業団地事業京義線と東海線の鉄道・道路連結事業という対北朝鮮三大経済協力事業が進められ、離散家族再会事業が行われるなど、目に見える形で北朝鮮と大韓民国の距離が縮まったと大韓民国では広く認識されています。

しかし、北朝鮮が核保有するようになったこと等、韓国側からの支援が逆に北朝鮮の戦力増強になってしまったという非難の声もあり、太陽政策による南北統一が成功するのかどうかは、本年、韓国大統領に就任した文在寅(ムン・ジェイン)氏の采配が注目されるところです。

まとめ

筆者は、朝鮮半島の歴史を調べてみて、第二次世界大戦で敗戦した時に、もし日本が南北に分断されていたらどうなったのだろう?と、考えてしまいました。ヤルタ会談で北方4島はソ連に支配されるようになりましたが、終戦のタイミングがもっと遅かったら、日本も南北に分断されていたかもしれないと強く感じました。

いつの日か、朝鮮半島の軍事境界線が無くなり、統一であろうと、二国の分裂であろうと、休戦ではなく終戦になることを祈るばかりです。

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