旧暦とは何か?

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日本のことを調べていると、頻繁に「旧暦」という表現が出てきます。例えば先日「新米」のご紹介をしたときも、「旧暦の七夕は8月7日」とご紹介しています。

読んで字のごとく、古い暦であることは想像がつきますが、さて、旧暦の真実はみなさんご存知でしょうか?

今日は、旧暦について調べてご紹介します。

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現在の暦は「太陽暦」

私たちが現在使用している暦は「太陽暦」(グレゴリオ暦)と言います。暦の概念はとても古く、太陽暦は紀元前45年の1月1日からユリウス暦という暦が導入されています。ユリウス暦は太陽が地球を回る周期から暦を作り上げています。驚くことに、紀元前に造られた太陽暦であるユリウス暦で、すでに一年は365日と換算され、かなり精度の高い物でした。

さらに、このユリウス暦を精密にしたものがグレゴリオ暦です。1582年2月24日にローマ教皇グレゴリウス13世が制定した暦法がグレゴリオ暦。これが今でも使われる新暦なのです。

日本が太陽暦を導入したのは明治時代

日本が太陽暦(グレゴリオ暦)を導入したのは明治5年(1872年)です。日本では明治5年まで天保歴を使っていました。これが一般的に、旧暦と呼ばれるもの、と、言いたい所ですが、実は日本の暦の改暦はとても多いのです。

元嘉暦(げんかれき) – 6世紀頃朝鮮半島の百済から伝えられた宋の時代の中国暦である。

儀鳳暦(ぎほうれき) – 中国暦で690年から元嘉暦と併用された。697年からは単独で使用された。

大衍暦(たいえんれき、だいえんれき) – 中国暦で764年から861年まで使われた。

五紀暦(ごきれき) – 中国暦で781年に日本に紹介されたが単独で使われることはなかった。

宣明暦(せんみょうれき) – 中国暦で862年から1685年まで使用された。

貞享暦(じょうきょうれき) – 初めて日本人により編纂された暦で1685年から1755年まで使われた。

宝暦暦(ほうりゃくれき、ほうれきれき) – 1755年から1798年

寛政暦(かんせいれき) – 1798年から1844年

天保暦(てんぽうれき) – 1844年から1872年

Wikipediaより

貞享暦が日本人により初めて作られた暦法で、渋川春海の手によって編纂された和暦。それまで使われてきた宣明暦は800年も使われましたが、中国で作られた暦でした。

旧暦は太陰太陽暦とも言い、太陽の動きと月の満ち欠けを元に、月や日にちを計算していました。旧暦(陰暦)では新月から新月までを一か月と考えていました。そのため、一か月はだいたい29.5日。太陽暦の1年より11日間短かったのです。

明治5年の新暦導入

旧暦明治5年12月2日(西暦1872年12月31日)の翌日からグレゴリオ暦が導入され明治6年(1873年)1月1日となりました。そのため。明治5年には12月3日から12月30日が存在していません。

なんと、改暦の布告から一か月で実施されてしまい。世の中は大混乱だったようです。が、これには事情がありました。

明治維新後、明治政府は財政難に苦しんでいました。政府は旧暦のままだと明治6年が13か月になってしまうため、役人に13か月分の俸給を払うことを節約したいという事情があったようです。

旧暦のまま残っている名残

明治5年に、突如導入された新暦により、日本の旧暦に合わせて行われていた行事は日程の修正の必要が出てきたわけです。

正月、端午の節句、七夕、今でものこる節句は、新暦に合わせて変わっていきました。しかし、仙台の七夕が8月7日であったり、地域によってはお盆を7月15日に行う所があったり、旧暦での祭事が行われている地域も残っています。

例えば、お正月の年賀状に「初春」「迎春」などと表記するのは、旧暦では正月は立春にとても近く、2月の上旬から中旬であったことの名残です。端午の節句は5月5日ですが、旧暦では6月の節句です。菖蒲を飾る節句ですが、菖蒲の花の最盛期は6月。もともとは6月に行われていた節句だったのです。

まとめ

世界中には様々な暦があることはご存知だと思います。何かと有名なマヤ歴、イスラーム諸国ではヒジュラ暦など、私たちにはあまりなじみがないけれど、それぞれの宗教や文化に合わせた暦がたくさんあるのです。

明治維新により日本の伝統や文化というのは、本当に大きく様変わりしたのですね。

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